瀬戸内海を
見わたすことができる場所にある
自然豊かな島、豊島(てしま)。
国立公園でもあるその島でかつて、
10年にわたって
産業廃棄物が捨てられるという
事件がありました。
美しい自然を取り戻すため、
豊島の人びとは
さまざまな取り組みを行っています。
瀬戸内海を
見わたすことができる場所にある
自然豊かな島、豊島(てしま)。
国立公園でもあるその島でかつて、
10年にわたって
産業廃棄物が捨てられるという
事件がありました。
美しい自然を取り戻すため、
豊島の人びとは
さまざまな取り組みを行っています。
豊島は、瀬戸内海の東部、小豆島の西方3.7kmの場所にあり、香川県では小豆島に次いで2番目に大きな島です。青い海と白い砂浜、緑の草木に囲まれていて、島の中央の山からは箱庭のような瀬戸内海の景色を見渡すことができます。
豊島のある瀬戸内海は1934年、雲仙、霧島とともに日本で初めて国立公園に選ばれています。国立公園とは美しい自然をそのままの形で次の世代に伝えていくために国が保護している場所。瀬戸内海の自然は国民すべての財産です。
1980年頃から、豊島の一部に大量の産業廃棄物が持ち込まれ、野焼きが始まりました。これを行った業者は、ミミズの養殖のための餌(えさ)にするという名目で、食品汚泥などの無害な産業廃棄物を処理する許可を得ていましたが、実際には、自動車の破砕くず(シュレッダーダスト)、有害な物質を含む廃油の入ったドラム缶、汚泥などを不法に投棄していました。
生ごみなど日常生活のなかで
おもに家庭から出てくる
廃棄物のこと
機械や工場でものを作ったり
それを運ぶ途中で出る
廃棄物のこと
産業廃棄物は私たちの日常生活で出る身近なごみではありませんが、私たちも無関係ではありません。わたしたちの生活に必要な、住む家や食べるもの、着るもの、乗りものは、機械や工場で作られています。その製品をつくったり、運んだりする途中で出るごみこそが「産業廃棄物」なのです。
自然だけでなく、生活にも影響が出ると考えた島の人びとは、
香川県に対して業者の不法投棄を取り締まるよう求めましたが、
香川県は、業者が行っているのは金属回収業なので取り締まることができないと回答。
これによって、業者は公然と不法投棄を続けることができました。
1990年11月に業者が廃棄物処理違反で摘発され、不法投棄はようやく終息しましたが、豊島の膨大な廃棄物はそのまま放置されました。豊島住民は香川県や業者に廃棄物撤去を求める公害調停を申し立てるとともに、廃棄物撤去にむけてさまざまな住民運動を続けました。当初、小さな島の住民たちの声に耳を傾ける人は多くありませんでしたが、抗議活動や香川県全域で開催した100回もの座談会など、住民たちの地道な運動は、やがて世論を動かしていきました。
2000年6月、住民と香川県の調停が成立。香川県は、住民に謝罪するとともに、廃棄物を無害化して、2017年3月末までに豊島から完全に撤去することを約束し、香川県と豊島が共創の理念のもとに協働して廃棄物処理に取り組んでいくことが宣言されました。不法投棄が始まってから実に20年以上が経過していました。
調停成立後、香川県は廃棄物の無害化と撤去を開始しました。廃棄物が捨てられていた場所では、想定より深くまで土壌が汚染され、廃棄物から流れ出した汚染水が地下に染み込んでいました。そこで撤去を進めるあいだ、廃棄物から染み出す汚染水が海に流出しないように、海岸に鉄の板(遮水壁)が打ち込まれました。2017年3月、廃棄物は撤去されましたが、その後も汚染水の処理は続いています。
遮水壁が打ち込まれた後、豊島の海ではアマモが生え、カニやイカが戻ってきました。2021年8月には汚染水が排水基準を満たし、2022年3月、島と海を隔てていた鉄の板が引き抜かれました。このあとは雨水と潮の満ち引きによって、飲みつづけても健康に問題が生じないとされる環境基準の達成まで、地下水がさらにきれいになっていくことが期待されています。
廃棄物をきちんと処理して
環境を再生
廃棄物を無害化して
資源として再利用
廃棄物処理に関する
全ての情報を開示
廃棄物の撤去を求める公害調停の申立てから約30年を経て、
ようやくきれいな自然を取り戻しつつある豊島。
豊島事件をきっかけにごみの処理に関する法律が見直されただけでなく、
廃棄物を出す会社が廃棄物を処理する責任を負うことになりました。
また廃棄物を減らすために各種のリサイクル法が定められました。
産業廃棄物の不法投棄の罪が
重くなっただけでなく
最終的な責任の所在が
廃棄物を出した会社に
産業廃棄物の再資源化が
進んだことによって
ごみとして処分される量が
減少しました
瀬戸内海は、外の海と海水の出入りが少ない閉鎖的海域。
いったん海が汚染されるとなかなかきれいにならないため、海を汚さないことが大事です。
そのような瀬戸内海エリアでは、陸域や島と海を一体のものとして考え、
守って行こうと多くの人びとが力を合わせて様々な活動に取り組んでいます。
2000年の公害調停成立のあと、豊島の人びとは豊島事件の教訓を伝える
「学びの島」としての再生を目指し、手作りの「豊島こころの資料館」を開設しました。
また夏合宿形式の「豊島 島の学校」を 10年間にわたり開校しました。
現場視察対応は現在も行われています。
豊島事件の公害調停成立を記念し設立されたNPO法人 瀬戸内オリーブ基金は、
瀬戸内海エリアにおける植樹活動への助成、海ごみ問題の啓発、
豊島でのオリーブ栽培とオイル生産、荒廃した国立公園の原状回復事業、
豊島事件の意義や教訓を伝えるフォーラム開催などの活動を続けています。
さらに豊島は、2010年から始まった瀬戸内芸術祭の会場の一つになっており、
豊島美術館をはじめとする現代アートは高い評価を受けています。
産廃特措法の財政支援の延長期限内である2023年3月に整地が完了しました。
地下水の環境基準達成には、
さらに10年以上かかるともいわれており、
住民への土地の引きわたしは、まだまだ先のことになりそうです。
豊島に運ばれたごみは、業者が島の外から不法に持ちこんだものでした。
みんながたくさんのものを作りそれを消費すれば、当然ごみもたくさん出てきます。
作るほうも、買うほうも、捨てることや後始末のことまで考えない。
ごみは産業廃棄物も含め、こういった社会のしくみのなかで日に日に増えてきたのです。
一人一人の小さな行動をつなげることが、これからの社会を作る大きな力になります。
これからの社会を支え、より良くしていくのは私たちです。
有害産業廃棄物の処分場を作る申請を業者が出しましたが、住民は激しい反対運動を行いました。
香川県がミミズの餌として無害廃棄物の処分を許可し、1980年頃から不法投棄や野焼きが始まりました。
車の粉砕ごみや廃油等の不法投棄・野焼きが大規模化しました。
業者が摘発されたことで、不法投棄は終息。しかし、廃棄物はそのまま残されました。
公害紛争処理法に基づいて、ほぼ全員の豊島住民が香川県・業者・廃棄物処理を委託した排出業者に対して公害調停を申請しました。
香川県は責任を認め、住民に謝罪を行いました。また、2017年3月末までの廃棄物の完全撤去と廃棄物の無害化処理を約束しました。
豊島での廃棄物撤去と、直島での無害化処理が始まりました。
2017年6月には、直島での無害化処理も完了しました。
産廃措置法の延長期限が終了し、処分場の整地が完了しました。
飲み続けても健康に問題が生じないとされる基準を達成するのはいつになるかわかりません。これからもたたかいは続きます。